この連載のはじめに、「漂う」という言葉を出発点にしました。
それは、“何かに流されること”でも、“とどまらず彷徨うこと”でもなく、
とらわれず、でも無視せず、感情・思考・感覚と丁寧に付き合っていく感性の構えです。
そしてここまで、「見つめる」「ほどく」「揺れる」「ゆるす」「遊ぶ」と、
5つの内面のステップを経て、私たちは自分との関係性を少しずつ変えてきました。
いま、あらためて「漂うとはなにか?」を見つめ直してみましょう。
漂うとは、「整えること」ではなく「揺れてもいい自分でいること」
この旅を通して見えてきたのは、
「自分を変えるために整える」という視点ではなく、
「どんな自分であっても、そこにいられる状態を育てる」という感性です。
- 感情が揺れる日もあれば、穏やかな日もある
- 思考がぐるぐるまわるときもあれば、静まるときもある
- 感覚が開かれるときも、閉じているときもある
そうした変動そのものに身を置ける柔らかさ。
それが、「漂う」ことの核心です。
執着はなくならない。でも、扱い方は変えられる
執着を完全になくすことはできません。
それは人間が何かを大切にして生きている証でもあります。
けれど、執着を感じたままに観察し、少し離れて眺めることで、
その力に飲み込まれることなく、
穏やかにハンドリングすることができるようになります。
ドリフトシンキングは、そのための感性と視点を育てるプロセスでした。
「ただ気づく」から始まる変容
結局のところ、何かを大きく“変える”必要はないのかもしれません。
変容とは、強い意志や劇的な変化ではなく、
「気づき続けられる自分でいること」の先に、ふと起きる静かな出来事なのです。
- 気づき、感じる
- 眺め、少し離れてみる
- また揺れ、そしてまた、ゆるし、遊ぶ
このゆるやかな循環のなかに、「漂う」は何度でも訪れます。
「漂うように生きる」とは
「漂うように生きる」とは、
常に穏やかでいることでも、何も考えずに生きることでもありません。
それは、揺れながらも、自分との関係を変えながら進む生き方です。
ときに立ち止まり、ときに巻き込まれながら、
それでもふたたび気づき、離れて、また近づいていく。
そんな、絶えず更新される自己との対話のあり方こそが、
ドリフトシンキングが目指す「漂う」感性の実践なのです。
ここからがはじまり
この連載はここで一区切りを迎えます。
けれど、あなたの「内面の旅」は、これからも続いていきます。
これまで歩んできたプロセスを振り返りながら、
ぜひ今日という日を、静かに「漂って」みてください。
そのときの自分の感じ方こそが、
あなたにとっての“真のドリフトシンキング”の始まりかもしれません。