前回の「見つめる」では、自分の中にある“自分らしさ”と、それに絡む「執着」にそっと目を向けました。
そこでは、感情や感覚がいくつもの層にわかれて存在していること、
そしてそれらが思考と密接に絡んでいることに気づき始めた方もいるかもしれません。
今回は、その絡まりの中でも特に、「思考のクセ」「信念」「価値観」といった部分に光を当て、
それらをやさしく“ほどいて”いくプロセスを見ていきます。
「ほどく」は、思考と距離をとること
私たちは、自分の思考を「正しさ」として信じ込んでいることがあります。
- 「迷惑をかけてはいけない」
- 「ちゃんとしていないと認められない」
- 「がんばらないと愛されない」
こうした思考は、無意識に自分の行動や感情を縛ってしまいます。
それは、かつて必要だった「生きるための知恵」だったのかもしれません。
けれど今、その正しさが、苦しさや執着の源になっていることもあります。
「ほどく」とは、それらの思考にただ気づき、
「本当にいまの私に必要だろうか?」と、そっと問い直してみる行為です。
言葉にすることで、ほぐれてくる
思考や信念を「ほどく」ために役立つのが、言葉にすることです。
書き出したり、つぶやいたり、誰かに話してみることによって、
頭の中にあったモヤモヤが少しずつ形を持ち始めます。
たとえば、こんなふうに問いかけてみてください。
- どんなことに「こうしなきゃ」と感じている?
- その背景には、どんな思いや経験がある?
- 本当は、どうしたかった?
こうした問いかけによって、思考の中にあった「強さ」や「硬さ」が少しずつゆるみ、
本音や感情にアクセスできる余白が生まれてきます。
思考に巻き込まれず、関係性を見直す
「思考をやめる」ことが目的ではありません。
大切なのは、自分の思考とべったり同一化しないことです。
「私はいつもこう考えてしまうけれど、それには理由がある」
「いまはこの考え方に偏っているな。ちょっと一歩引いて見てみよう」
そんなふうに、自分と自分の思考のあいだにスペースを持つこと。
そのスペースが、執着との距離でもあり、漂うための準備でもあるのです。
「ほどく」は、眺めるための助走
ほどくという行為は、思考や価値観との関係性を変えていくための、やさしい助走です。
何かを断ち切る必要はありません。
ただ、「こういう考えにとらわれていたな」と認めること。
それだけで、自分との距離感がほんの少し変わっていきます。
そして、その変化は次第に、
「揺れる」ことへの入り口にもなっていくでしょう。
次回予告:「揺れる」へ
次回は、ほどかれた思考のあとに自然と起きてくる“感情の揺れ”について扱います。
それは不安定さでもあり、新たなエネルギーの兆しでもあります。
揺れの意味を丁寧に見つめることで、変化の流れを味方につけていきましょう。