「心が冷たい牢獄に閉じ込められたよう」
「胸の中に重たい石が沈んでいる」
「言葉にならない感情が、霧のようにただよっている」
これらは、ドリフトシンキングの実践者が、自分の内面を表現したときに用いた言葉の一例です。
どれも、直接的に「不安」「悲しみ」「戸惑い」とは言っていませんが、それらを具体的なモノや風景に「たとえる」ことで、感情がありありと浮かび上がってきます。
今回は、こうした「比喩表現」に焦点を当てて、私たちが内面をどう捉え、どう言葉にしているのかを考えてみます。
なぜ人は「例えたくなる」のか
ドリフトシンキングでは、自分の感情や感覚に無理に名前をつけるのではなく、「いま、どんな感じか?」という問いに対して、自由な表現で記録していきます。
すると、私たちは自然と「何かにたとえる」かたちで書き出していることに気づきます。
- 「心がざわつく」が「湖面に風が吹いたよう」となる
- 「怒り」が「噴き上がるマグマ」として描かれる
- 「不安」が「細かく振動するガラス玉」のように表現される
これは偶然ではありません。感情や感覚といった抽象的な内面は、言葉にしようとした瞬間に、より具体的なモノ・動き・風景に置き換えられる必要があるからです。
この「置き換え」の技法こそが、まさにレトリックにおける比喩(メタファー)なのです。
比喩の種類とそのしくみ
レトリックにおける比喩には、いくつかの基本的な形式があります。
- 直喩(シミリー):「~のように」「まるで~のようだ」と明示的に例える
例:「心がまるで凍った池のように動かない」 - 隠喩(メタファー):明示的な語句を使わずに直接例える
例:「言葉が心の奥で錆びついている」 - 換喩(メトニミー):原因や道具、時間などに置き換える
例:「机に向かう」=勉強する、「汗を流す」=努力する - 提喩(シネクドキ):一部で全体を示す、またはその逆
例:「足が速い」=全体としての人のこと、「白衣が動き回る」=医師が動く
ドリフトシンキングで使われる比喩の多くは、直喩や隠喩の形式をとります。
とくに隠喩は、表現が濃縮される分、言葉にならない感情を鮮やかに可視化する効果があります。
比喩がもたらす内面への「発見」
比喩を使って内面を表現するとき、単なる言い換えではない効果が生まれます。
それは、例えたことで初めて「自分の状態がわかる」という逆転の感覚です。
たとえば、ある人が「気分が冷たい金属のようだった」と記録したとします。
後になってその言葉を見返したとき、「なぜ金属だったんだろう?」と考えることで、自分の感情の背景や、対人関係の反応パターンに気づくことがあります。
つまり、比喩とは表現であると同時に、自己観察のツールでもあるのです。
比喩で生まれる類似性と意外性
比喩が面白いのは、「まったく異なるもののあいだに似ている点を見出す」という知的な遊びの側面があることです。
たとえば、
- 「孤独」が「廃駅のよう」
- 「安心感」が「朝焼けのように静かに広がる」
といった表現は、一見無関係な感情と情景のあいだに、類似性を見つけ出しています。
そしてその組み合わせは、ときに驚き(意外性)を伴いながら、感情の輪郭をよりくっきりと描いてくれます。
これは、佐藤信夫氏が『レトリック感覚』で指摘した、レトリックの本質のひとつでもあります。
「表現しにくい現実を、別のものになぞらえることで伝えようとする」——そこには、発見の喜びと、自己理解の深化が同時に生まれるのです。
自分の言葉で、自分をたとえる
ドリフトシンキングの「名づけ」は、誰かに伝えるためだけの言葉ではなく、自分との対話のための言葉です。
その対話を深める方法として、比喩はとても有効です。難しく考えず、「たとえるなら、どんな感じ?」という問いを、ひとつ追加してみるだけでもよいのです。
「怒りは何に似てる?」「この安心感、どんな色?」
こうした問いかけを通して、あなたの中に眠る感覚や発想が、少しずつ言葉として立ち上がってくるはずです。
次回は、比喩以外の表現法──換喩や提喩といった技法にも目を向けていきます。
内面は複雑で多面的だからこそ、多様な言葉のレンズを通して捉えることが、自己理解の幅を広げることに繋がります。
引き続き、「自分を言葉にする技術」を一緒に探求していきましょう。